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コーヒーの歴史23【栽培史⑥ブラジルのコーヒー産業拡大】

コーヒーの歴史23【栽培史⑥ブラジルのコーヒー産業拡大】

コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回はコーヒー産業が広まった当時のブラジルについて見ていきます。現在でもコーヒー産業が有名なブラジルですが、コーヒーが伝わった当初は一体どのような状況だったのでしょうか。

ブラジルに伝わったコーヒー

ブラジルにコーヒーが伝わった当時のエピソードとして、非常に有名なものがあります。1727年、フランスのギアナとオランダの間で紛争が発生しました。仲裁に向かっていたブラジルの使節「パレータ」は、前フランス代理総督夫人と恋仲になってしまい、その際に、コーヒーの種を託されたとのこと。

1773年には、修道士(フランシスコ会)がリオデジャネイロの“聖アントニオス修道院”の庭にコーヒーの種子を植えたという記録も残っています。

ヨーロッパの経済事情とブラジルのコーヒー産業

当初ブラジルは、砂糖を主な輸出品として経済を成り立たせていました。しかし、ヨーロッパで砂糖の自給が可能になると、砂糖に代わる輸出品としてコーヒーの輸出に注力したのです。

時の皇帝“ペドロ1世”は、国内の農業を振興しコーヒー生産に力をいれました。1818年には、ブラジルのサントスからされた「ブラジル産コーヒー」がヨーロッパに向けて本格的に輸出されるようになったのです。

コーヒー生産の拡大

ペドロ1世の後、ペドロ2世が即位すると、リオデジャネイロ州でもコーヒー栽培が行われるようになりました。それ以降、サンパウロ州、ミナスジェライス州にも栽培は拡大。1870年代には、ブラジルのコーヒー栽培の中心地は、リオデジャネイロ州からこの2つの州に移ったのです。

奴隷制度によるコーヒー生産の発展

コーヒー豆_ブラジル

ブラシルでは、奴隷制度と大規模プランテーションの栽培によって、19世紀コーヒー市場の主役に躍り出ました。ブラジルで奴隷制度が廃止された1888年以降は、ヨーロッパ系移民が安値での労働賃金でコーヒー産業を担ったそうです。

しかし、コーヒー産業が成功する中、当時地主たちが行なった“焼畑農業”はブラジルで深刻な環境破壊を引き起こしてしまいました。

作られすぎたコーヒー豆

20世紀の頭から、ブラジルでは需要よりもコーヒーが過剰に生産される状態が続き、価格の暴落が起き始めました。生産量が増加するに伴い、コーヒーはどんどん低価格化していったのです。この状況を深刻に考えたブラジルなどのラテンアメリカ系コーヒー生産国は、1902年ニューヨークに代表者を派遣し、初めて「国際コーヒー会議」を開催しました。

第一次世界大戦が始まる直前には、ブラジルの国内生産品約90%をコーヒーが占め、そのほとんどがアメリカに輸出されていたそうです。

ブラジルは砂糖からコーヒーへと産業転換した

後に日本人がコーヒー園で奴隷のように働かされていたのも、ブラジルのコーヒー史では有名なエピソードです。ブラジルは、現在でも尾を引くかのように経済不安が続いていますが、これはコーヒー産業を発展させすぎた弊害なのかもしれませんね。

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coffeemecca編集部

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