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コーヒーの歴史7【ハンガリーとドイツ・代用コーヒー】

コーヒーの歴史7【ハンガリーとドイツ・代用コーヒー】

コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、まだヨーロッパにコーヒーが伝わった当初のエピソードを見ていきます。コーヒーがまだ民衆に受け入れられていなかった当時、その見た目も影響してかコーヒーは不吉なものであると考えられていました。

ハンガリーでのコーヒー事情

ヨーロッパにありながらオスマン帝国の支配下におかれていたハンガリーでは、16世紀の終わり頃からコーヒーの存在が知られていました。しかしハンガリーにとって、コーヒーはあまりいい印象ではなかったようです。

1541年、ハンガリーのブダがオスマン軍に制圧される直前、会談のためオスマン軍陣営にハンガリーの者が出向いた際、“黒いスープ”としてコーヒーが提供されたといいます。その直後にブダが陥落したことから、ハンガリー国内で“黒いスープ”は不吉な意味を持つ言葉となったそうです。

ドイツで受け入れられたコーヒー

一方ドイツでは、ハンガリーとは打って変わり、コーヒーはあっという間に民衆の支持を得たといいます。17世紀中頃にコーヒーが伝わった当初は、上流階級の嗜みとして愛飲されていましたが、高級品であったため民衆には手が出せませんでした。

しかし、一般市民のもとにも“コーヒーの波”はすぐに訪れました。1680年〜1700年初頭にハンブルグ、ベルリンと主要都市にコーヒーハウスが次々と開業したのです。

一般家庭への普及とコーヒー禁止令

コーヒーはものすごい勢いで一般家庭に普及しました。18世紀の後半には、国民的飲料であるビールに打って変わる飲み物となったのです。

しかし、熱烈に受け入れられたコーヒーブームは反動となってしまいます。1780年代には、コーヒーの輸入や国民の身分的秩序を保つという名目で、一般庶民に向けた「コーヒー禁止令」が出されてしまいました。

さらに、当時の王であったフリードリヒ2世は輸入による国内経済の危機を発生させないため、コーヒーの製造を王立の企業に独占させたのです。その結果、一般庶民が気軽にコーヒーを楽しめなくなってしまったのです。

庶民の知恵〜代用コーヒーの発達〜

禁止をされてもコーヒーを飲みたかったドイツの庶民は、あの手この手を考えてコーヒーを手に入れようとします。その結果、「コーヒーに似た飲み物を作る」という発想にたどり着いたのです。

ドイツ庶民は、コーヒーの代わりに大麦やチコリといった作物を使い「代用コーヒー」を作り楽しんだのでした。そのため“ドイツコーヒー”というと、代用コーヒーを意味する時代が長らく続いたそうです。

コーヒーの受け入れられ方は国によって様々だった

コーヒーを“黒いスープ”と忌み嫌っていたハンガリーのような国と、コーヒー禁止令が出されるほど熱狂的にコーヒーを受け入れたドイツ。ヨーロッパの中でもコーヒーに対する受け入れ方は、国によって様々な反応があったようです。現在では世界のコーヒー消費量のトップ国を占めるヨーロッパも、不可思議な“黒いスープ”には多かれ少なかれ驚いたのでしょう。

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