コーヒーの歴史に迫っていく当コラム。今回は、コーヒーファンからも愛される品種“モカ”の歴史について見ていきたいと思います。独特の酸味と風味豊かな香りで世界中に“信者”を獲得するモカには、どのような歴史があるのでしょうか。
イエメンからヨーロッパへ
ヨーロッパにコーヒーが普及し始めたのは17世紀のこと。各地でコーヒーハウスが設立され、一般市民がコーヒーを楽しめるようになりました。フランス、オランダ、イギリスなどが貿易に乗り出し“東インド会社”を設立し、イエメンとのコーヒー取り引きを始めたのです。
ヨーロッパ各地のコーヒー熱
イギリス
イギリスではオックスフォード、ロンドンに次々とコーヒーハウスが設立されていきました。当初コーヒーハウスの近隣住人が“悪魔のにおい”と苦情を訴えていましたが、コーヒーが一般市民に広まるまでそう時間はかかりませんでした。
女性禁制だったコーヒーハウスには、男たちが入り浸り社交の場として使われたそうです。
フランス
フランスではオスマンの皇帝からコーヒーが送られたことによって、上流階級の間にコーヒーが広まりました。その後コーヒーハウスが各地に設立されると、フランスの伝統的なワイン商達は医師会に依頼して、“コーヒーの悪影響”を唱え始めましたが、市民の間でコーヒーは人気を得ていったのです。
ドイツ
ドイツでも上流階級の飲み物として認識されていましたが、ハンブルグやベルリンにコーヒーハウスが設立されると、徐々に庶民にもコーヒーが広まっていきました。18世紀には国民的な飲料品であるビールに変わってコーヒーが家庭に広まっていったそうです。
“モカ”の語源になった港
このように、ヨーロッパ各国で熱狂的に受け入れられたコーヒーは、イエメンのとある“小さな港”から輸出されていました。“モカ”という名のその港から輸出されたコーヒーは、現在私達が飲んでいる「モカコーヒー」という名の語源になったと言われています。
当時コーヒーの貿易を独占するため、モカコーヒーは豆を高温で加熱し発芽の可能性をなくしてから出荷されていたそうです。豆の密輸を行おうとした場合は、厳しい罰金が課されていたとのこと。
インドでの栽培
その後、コーヒーはイスラム教徒の手によってインドのマイソールに持ち出され栽培が始まりました。モカコーヒーは生産量が少なく高価なため、植民地で作られたコーヒーの勢いには勝てませんでしたが、東アフリカで生産されイエメンのアデンにて出荷されたドイツコーヒーは「モカ」という名で売られていたそうです。
“モカ”はイエメンのモカ港から名付けられた品種
モカコーヒーはヨーロッパに輸出する港にちなんだブランド名なのだそうです。現在でも愛されているモカコーヒーの歴史を追っていくと、コーヒーには様々な文化が関係していることがわかります。