歴史上では、様々な女性差別がなされてきました。これはコーヒー史においても同様で、「女性がコーヒーを飲むべきではない」と言われていた時代があったのです。中でも「コーヒーハウス」と呼ばれていたカフェは、女性禁制でした。
コーヒーハウスとは?
コーヒーハウスは、1600年代にイギリスのロンドンに登場した、今で言うカフェのような場所です。酒類を提供するパブのような場所が栄えていたイギリスで、アルコール無しで情報交換や政治談義を行う場所として、コーヒーハウスは市民に受け入れられていたのです。
最先端の情報が集まる場所
メディアが発達していなかった当時、コーヒーハウスに“情報収集”しに行くというのがトレンドになっていました。政治や経済だけでなく、街の小さなうわさ話や芸術作品に関するものまで、あらゆる情報交換を行いながらコーヒーを楽しむ文化が栄えていたのです。
女性禁制だったため反対運動が発生
しかしながら、そこは女性禁制の場所でした。ロンドンの主婦たちは、コーヒーハウスに入り浸る夫達に腹を立て「コーヒーハウス反対運動」を行い大きな問題に繋がりました。
イギリスでのコーヒーハウスの女性禁制は、1706年に「トムのコーヒーハウス」がオープンしたことによって終わったとされています。
コーヒーは女性の身体に良くない?
コーヒーハウスが女性禁制であった理由の1つに、女性がコーヒーを飲むことによる身体への影響があったと考えられていました。
当時のヨーロッパでは、「女性がコーヒーを飲むと子どもが産めなくなる」「肌が黒くなってしまう」と言われていたのです。そのため、女性はコーヒーを楽しむという行為そのものを、表向きにできなかったのです。
ドイツのコーヒーハウスも女性禁制に
イギリスから遅れること20年、ドイツにもコーヒーが伝わりました。1679年にドイツにも初めてのコーヒーハウス(カフェ)ができましたが、ドイツにおいても女性禁制の場所だったのです。ドイツでもイギリスで起きた騒動と同じような形で、主婦たちによるコーヒー反対運動がおきました。
コーヒー騒動をテーマに作曲を行ったバッハ
ドイツでのコーヒー騒動は、世界的有名な作曲家バッハによって作曲されています。
ピカンダーの詩「おしゃべりをやめて、お静かに」に曲をつけ「コーヒー・カンタータ」という作品を残したのです。コーヒー好きの娘と、その娘に手を焼く父親とのユーモア溢れるやり取りを描いたこの曲は、当時のコーヒー事情をうかがえる作品と言えるでしょう。
コーヒーハウスが女人禁制だった時代まとめ
コーヒーハウスが女性禁制だったことを原因として、イギリスでは一般家庭に浸透しなくなってしまったとも言われています。また、コーヒーハウスそのものが「男を虜にしてしまった」「女性を楽しませてくれなくなった」なんて謂れも語られています。
もしもコーヒーハウスが女性禁制ではなかったら、イギリスは紅茶ではなくコーヒーが有名な国になっていたかもしれませんね。