コーヒーの歴史に迫っていく当コラム。今回は、ケニアに広まったコーヒー産業について見ていきましょう。
エチオピアなどで盛んに行われていたコーヒーの栽培ですが、意外にも当初ケニアで栽培は行われていませんでした。現在ではヨーロッパ諸国で人気のある高級銘柄となったケニアコーヒーは、どのようにして発展していったのでしょうか?
コーヒーの伝来
ケニアにコーヒーが伝わったのは19世紀後半だと言われています。1890年代にカトリック教の宣教師によって、レユニオン島(元ブルボン島)のコーヒーが国内に持ち込まれたことがきっかけでした。
ケニア国境にあるアフリカ最大の山脈「キリマンジャロ」があることから、コーヒー栽培に向いている土地だとわかった後、多くの人々がケニアに定住し栽培をスタートさせました。
宗教的な自由を求めてアフリカに移住してきたボーア人、イギリス人、イタリア人、ドイツ人と実に多くの民族がやってきたため、1900年初期、キリマンジャロ南側に28ものプランテーションが存在していたそうです。
農地の割りあて
当初、低地の方が良質なコーヒー栽培ができると考えていた宗主国のドイツ政府は、低地側をドイツの農地として割りあて、高地を現地民族の居住区と農地にする政策を取りました。しかしながら、良質なコーヒーは高地でのみ収穫される結果となったのです。
その後ケニアでは、コーヒー産業が経済の中心となっていきました。一大産業として発展した影には、栽培方法や病気への対策など様々な研究が行われていました。現在では世界有数の高級銘柄としてケニアのコーヒーはしっかりとブランド化されています。
現地民とヨーロッパ諸国の協力体制
キリマンジャロ周辺のコーヒー栽培は、アフリカ民族とヨーロッパ人の協力体制によって成立しています。栽培や販売を行うのはケニアの現地民ですが、それに対しヨーロッパの人々が適切な助言を行い良質なコーヒー豆を生産しているとのこと。
後に、現地民とヨーロッパ諸国が共同で経営するコーヒーの加工工場が経てられるほどに成長したそうです。
風味の強いケニア産のコーヒー豆は、苦味が少なく柑橘系フルーツのような爽やかな酸味が特徴であり、現在でも北欧などで高額取り引きの対象となっています。
領地争いから始まったケニアのコーヒー産業
高品質な豆を安定して作るようになれるまでには、植民地時代の領地争いや、現地民の様々な努力がありました。
日本ではあまり手に入らないケニア産のコーヒー豆ですが、北欧系のさっぱりとしたコーヒーに使われることが多いです。