コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、コーヒー栽培が始まった当初、各地で育てられていた“品種”に関するエピソードを紹介します。
当時のコーヒーにも人の手で栽培されていたものと、自生していたコーヒーの2種類がありました。普及する中で突然変異が起きたり、品種改良が行われることによって種類を増やしていきましたが、今回は当時の代表的な品種である2つの品種に関して見ていきましょう。
レユニオン島で発見されたコーヒー
インド洋に位置するレユニオン島。この島はブルボン種の原産国として知られています。1711年、レユニオン島ではコーヒーノキが発見さました。これはマロンコーヒーという自生したコーヒーノキでしたが、苦味が強すぎる上に2年に一回しか収穫できないこともあり、輸出には向いていませんでした。
1715年には、デュフレーヌ・ダサール船長の手によってモカ変種の苗木が持ち込まれました。60本あった苗木は航海の途中に枯れるなどして、結局残ったのは2本だけ。自生しているマロンとともに栽培繁殖が行われましたが、苗木が少なかったことも影響して成功しなかったとされています。
後に800本ほどの苗を持ち込むことに成功し、栽培に成功したそうですが…。
幻のコーヒー「ブルボンポワントゥ」
そんな中、“突然変異種”と言う形で誕生したのが「ブルボンポワントゥ」というコーヒーです。
コーヒー好きの方なら名前を知っているかもしれませんが、幻のコーヒーとしてフランスのルイ王朝から愛されていたものです。1942年に輸出されたのを最後に、姿を消し絶滅したと考えられていましたが「再生プロジェクト」によって栽培が復活し、現在でも手に入りにくい非常にレアコーヒー”として取扱われています。
各国への普及とサイクロン被害
レユニオン島で栽培されたコーヒーは、フランスだけではなく南アメリカにも伝わりました。しかし、イギリスの東インド会社が出荷するコーヒーや、西インド諸島で栽培されたコーヒーに押し出される形で、あまり広まらなかったと言われています。
そんな中1805年には、レユニオン島をサイクロンが襲います。凄まじい自然災害の影響で、レユニオン島のコーヒープランテーションは壊滅してしまったのです。その後1810年には新しくルロイ種が持ち込まれ、再び栽培が始まったそうです。
レユニオン島自生のマロンコーヒーと持ち込まれたモカコーヒー
ロブスタ種で有名なレユニオン島にはもともとマロンコーヒーというコーヒーノキが自生していましたが、栽培に向いていないということでモカ種のコーヒーノキが持ち込まれました。
そして栽培が進む間に突然変異種として、有名なブルボンポワントゥが生まれルイ王朝をも夢中にしたのです。現在では手に入れるのが難しいコーヒーですので、もしみつけたら味わってみてくださいね。