コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、コーヒーがアジアへ普及していった時代背景について紹介しましょう。アジアは多くの国がヨーロッパ諸国の植民地だった影響から、コーヒーが広まっていきました。
韓国でのコーヒー普及
韓国にコーヒーが伝わったのは、19世紀の終わり頃だと言われています。韓米修好条約を締結したことにより、アメリカの公使がコーヒーを持ち込んだことがきっかけだそうです。
コーヒー=毒茶と考えられていた
当時は一般の庶民には全く広まりませんでした。王族たちが好んで飲んでいたため、コーヒーにアヘンを入れて毒殺しようとした事件が発生した、というエピソードが残っています。この影響から、韓国でコーヒーは“毒茶”というイメージが広がってしまい、一般庶民の間で飲まれることはなかったそうです。
一般層にコーヒーが普及し始めたのは、朝鮮戦争が始まり国連軍の外国軍人達が持ち込んだ時期です。アメリカ兵が長い間駐屯していたこともあり、韓国にもコーヒーショップができたため、韓国の人たちにもコーヒーを飲む習慣がついたといいます。
東南アジアでのコーヒー
東南アジアは、ヨーロッパの植民地としてコーヒーが輸出用の作物として栽培されていました。現地の人々が飲む習慣はありませんでしたが、植民地ではなくなった後もコーヒー栽培は続き、次第に一般人の生活に溶け込んでいったそうです。
ベトナムコーヒーの誕生
フランスの植民地だったベトナムは、フランスの指示の下コーヒーを栽培していました。他の東南アジア諸国と同じく、独立後も栽培は続き、独自の文化として発展させた結果“ベトナムコーヒー”が生まれました。
練乳とコーヒーをかき混ぜて飲むスタイルは、ベトナム独特の文化として現在は世界に広まっています。
ベトナムには“シントー”という練乳を使った飲み物があり、応用した形でベトナムコーヒーが生まれたと考えられています。近隣国のラオスでも、練乳を混ぜてのむ「カフェ・ラーオ」という甘口コーヒーが飲まれているようです。
独自の飲み方が特徴のインドネシア
インドネシアでコーヒーの栽培が行われたのは、16世紀の末。オランダが植民地化を行い、ジャワ島などでコーヒープランテーションを行なったのがきっかけで豊富なコーヒー生産量を誇ることとなりました。
“ダッチコーヒー”という水出しコーヒーが開発されたのも、ここインドネシアです。苦味の強いロブスタ種を栽培しているため、苦味を中和するための方法として考案されたそうです。
水出し以外にも変わった飲み方が浸透しており、焦げるほど強く焙煎した豆に炒ったトウモロコシを混ぜ合わせ、砂糖を大量に入れて飲まれているそうです。
他国に比べ普及の遅かったタイ
タイは植民地とならなかった影響もあり、豆の栽培が行われていなかったため、コーヒー文化が普及しませんでした。苦味が苦手な国民性も相まってコーヒーは敬遠されてきましたが、20世紀の末からコーヒーを飲む習慣が広まったそうです。ブラックよりも甘くして飲むのが好まれています。
植民地政策の影響でコーヒーが広まった
ヨーロッパの国々が植民地としてコーヒー豆を栽培していた影響で、多くのアジア諸国では自然な形でコーヒーが広まっていきました。植民地支配からの解放後、各国独自のコーヒー文化の発達につながっていったのです。