コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、オーストリアのウィーンで誕生した“ウインナーコーヒー”に関してです。コーヒー通の間で人気の高いウインナーコーヒーは、一体どのようにして広まっていったのか見ていきましょう。
オーストリアのコーヒー史
オーストリアのコーヒー史には、いくつかの伝説があります。その1つが、オスマン帝国が行ったヨーロッパ侵略作戦である「ウィーン包囲」に関わるもの。ヨーロッパにおける領土拡大を目指し、2度に渡って大軍を送り込んだオスマン帝国でしたが、この侵略作戦は失敗に終わりました。
正しい言い伝えは不明…?
オスマン軍がウィーン包囲から撤退する際、様々な物資を捨て国へと戻りましたが、その中にあった物資の1つがコーヒー豆だったと言われています。
しかし、ウィーン包囲以前から、オーストリアではコーヒーが販売されていたことが記録に残っており……あくまで伝えられてきた伝説の一種なのかもしれません。
ミルクコーヒー“メランジュ”
現在、最も信憑性のある説としては、オスマンの駐在大使がウィーンにコーヒーを紹介したという説です。大使によって紹介されたコーヒーはすぐに民衆に広まりコーヒーハウスも建てられたとのこと。
ヨーロッパ各地のコーヒーハウスとは異なり、ウィーンではコーヒーに牛乳や生クリームを入れて自分でカスタマイズしていたそうです。これらミルク入りのコーヒーを「メランジェ」と呼びます。
「コーヒーにミルクを入れるとハンセン病の原因となる」という迷信がヨーロッパで広まっていた中で、民衆に早くも広まっていたオーストリアは非常に珍しい国柄だったのではと思われます。
ウインナーコーヒーは冷めない構造
メランジュは、ミルク入りコーヒー全般を指しており私達日本人が「ウインナーコーヒー」と呼んでいるものとは本質的に異なります。日本人がウインナーコーヒーと呼んでいるのは、ウィーンでの飲み方の1つ「アインシュペンナー」というものです。
アインシュペンナーの発祥がどのようなものだったかは定かではありませんが、一説によるとウィーンの馬車番が寒い中ご主人様を待っていた時に飲まれていたコーヒーで、ホイップクリームによって全面を覆うことで“コーヒーが冷めるのを防いでいた”と言われています。ちなみに、アインシュペンナーは“馬車を操るもの”という意味があるそうです。
冷めない工夫から生まれたウインナーコーヒー
いかがでしたか?コーヒー普及当初から、ミルク入コーヒーが自然に飲まれていたオーストリア。機転の効く発想から、アインシュペンナー(ウインナーコーヒー)のような飲み方が生まれたようです。ウインナーコーヒーのふわふわには、ちゃんと意味があったのですね。