コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、コーヒーがヨーロッパに伝わった当初の歴史に関して見ていきましょう。このエピソードは、宗教の違いによるコーヒーの認識についてです。キリスト教徒の多いヨーロッパ人は、コーヒーをどう感じていたのでしょうか。
メッカで聖なる飲み物とされたコーヒー
ヨーロッパよりも先にコーヒーが民衆に定着したイスラム世界では、コーヒーが“聖なる飲み物”として高貴な扱いを受けていました。聖地メッカでは、イスラム社会の貴重な水源であり聖水とあがめられていた「ザムザムの泉」と同じ効能があると考えられ“黒いザムザムの水”と言われていたほどです。
オスマン帝国では“コーヒー作法”が唱えられていた
また、オスマン帝国(トルコ)では、コーヒーを飲む貴族たちの間に厳格な作法である「コーヒー作法」が作られました。日本で言う“お茶”の作法のように、コーヒーを飲む際の決まり事を定めることで、コーヒーがある種のステータスになっていったのです。
オスマン帝国を訪れていたヨーロッパ人(特に商人)は、コーヒーに興味をいだき帰国後にコーヒーの存在を伝えたといいます。
ヨーロッパに広まった“悪魔の飲み物”
ヨーロッパに広まった当初、コーヒーはまだまだ不思議な飲み物として扱われていました。見た目も真っ黒で邪悪な雰囲気を感じたことからか、キリスト教徒の一部からは「悪魔の飲み物」とすら言われていたようです。
聖水と悪魔の飲み物
「キリスト教徒にとっての“聖水”ワインを飲めないイスラム教徒が、悪魔からコーヒーを与えられている」という宗教的対立が起こりかねない意見まで噴出したため、キリスト教徒はローマ教皇に対して「協会のコーヒーに対する見解」を求めたのです。
コーヒー裁判と洗礼
1600年頃、ローマ教皇だったクレメンス8世は、キリスト教徒の声に押されコーヒーを裁判にかけることにしました。その際、クレメンス8世は自らその“悪魔の飲み物”を味見したといいます。
すると、あろうことかクレメンス8世本人が“悪魔の飲み物”の味に魅了されてしまい……。彼はコーヒーに洗礼を施し、今後キリスト教徒がコーヒーを飲むことに対して公認を与えました。
ローマ教皇をも魅了した“悪魔の飲み物”
一説によると、クレメンス8世はこの裁判前からこっそりコーヒーを愛飲しており、自分がハマったこの味の禁止を全キリスト教徒に徹底するのは無理だろうと考え、公認したとも言われています。
いずれにせよ、キリスト教徒のトップとも言える人間が“悪魔の飲み物”であったはずのコーヒーに惚れ込んでしまったということです。
コーヒーはまさしく“悪魔の飲み物”だった
宗教的な考えの違いはあれど、コーヒーの味は当時から多くの人々を魅了していたということがわかるエピソードでした。
当初はコーヒーの存在を否定したものの、ヨーロッパではその後急速にコーヒーが広まっていきました。ローマ教皇を認めさせたという事実は非常に大きかったといえます。