コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、コーヒーがヨーロッパからアメリカへと伝わった当時のエピソードに関して見ていきましょう。
コーヒーがアメリカに普及した背景には、あの有名な“ボストン茶会事件”が関係しているのです。
アメリカにコーヒーが伝わった時期
アメリカ(北アメリカ大陸)にコーヒーが伝わったのは1640年〜1670年の17世紀中頃だと考えられています。オランダ人によって持ち込まれたコーヒーは、当初高級品として民衆が口にできる飲み物ではありませんでした。初期のアメリカでは、“紅茶”が国民的な飲み物として浸透していたのです。
ボストン茶会事件と紅茶の低迷
高級品として扱われていたコーヒーですが、1680年代にはニューヨークが国際的なコーヒー豆取引場所となり、近郊のボストンでもコーヒーハウスが立て続けにオープンしたのです。
そんな中、1773年に発生したボストン茶会事件により、アメリカ国民は紅茶への関心を失っていったのです。
独立に向けての戦争と紅茶の供給量
当時アメリカは、独立に向けての動きが激しくなっていました。その中で、1812年から1814年まで続いた米英戦争の影響で、アメリカ国内に入ってくる紅茶の量が激減すると、国民は一気にコーヒーへと視線を向けました。
アメリカの独立後、マルティーニ諸島、ブラジル、ハイチから大量のコーヒーが流入し価格が下がりました。コーヒーにかかる関税が紅茶より安かったことも影響し、コーヒーは一気に普及し始めたのです。
当時のコーヒー消費量
アメリカが独立する直前の年間コーヒー消費量は、わずか数十グラムだったのに対し、1830年代には年間で2kg以上を消費するまでになりました。しかしながら日常的に飲用できるほど安値ではなかったため、“贅沢品”として嗜好的要素が強かったようです。
質の悪いコーヒー豆の影響
当時のアメリカでは、コーヒー豆を運送する手段や梱包が発達していませんでした。劣化した豆には“牛の血”などが着色料として使用され、風味を良くするためにタマネギ、シナモン、ココアなどが一緒に焙煎されたといいます。
1800年代に入ると、コーヒーにミルクや砂糖を入れて飲まれるようになりました。
次第に鉄道や蒸気船が発達し、コーヒー豆は新鮮なまま輸送されるようになりました。様々なコストが削減されていく中で、コーヒーの価格は徐々に下がり、一般層も気軽に楽しむ事ができるようになったのです。
そして、1920年に禁酒法が成立してからは、お酒の代わりにコーヒーが代用されることになり、需要がさらに高まっていきました。
紅茶からコーヒーへ!アメリカの国民的飲料品
植民地であったアメリカは、当初イギリス他統治国の影響で紅茶が浸透していました。しかし、独立が進むにつれ次第に国民はコーヒーを楽しむようになり、現在までに至るコーヒー文化が作られていったのです。
アメリカの例を見ると、コーヒーの歴史は世界の歴史や大きな出来事と関連づいていることがよくわかりますよね。