コーヒーの歴史に迫っていく当コラム。今回は、ハワイで行われているコーヒー産業について見ていきましょう。100%コナ・コーヒーで有名なハワイですが、その発祥はどのようなものだったのでしょうか。
スペイン人によるコーヒーの移植
ハワイにコーヒーが伝わったのは、1800年前半のことです。スペイン人がカウアイ島にコーヒーノキを植えたことが始まりとされていますが、その真意は定かではありません。
移住者の手によってコーヒー農園を作ろうとしましたが、結局大規模な農園は作れずに終わってしまったとのこと。オアフ島にも、当時のリーダー「ボギ」がブラジルから持ち帰ったコーヒーから伝搬していったと言われています。
ハワイ島に広がったコーヒー
1828年、キリスト教の宣教師がオアフ島からハワイ島へと観賞用にコーヒーノキを持ち帰りました。観賞用だったにもかかわらず、このコーヒーノキがどんどんと成長していき、ハワイ島はコーヒーノキで覆い尽くされたと言われています。
当時、主要国から来た実業家達は、ハワイの各島でコーヒー農園を開きましたが、天災や害虫・病気などによってどんどん減少していきました。結果、ハワイ島のみにコーヒー農園が集中し、その他すべての島でサトウキビ農園による糖業へと切り替わっていったのです。
ハワイ島の気候と土壌の適正
ハワイ島の農家も、サトウキビ農園を持ちたいと考えていました。しかし、コーヒー作りには適しているカイルア・コナの気候・土壌は、サトウキビを育てるのには向かず、移民してきた人々は徐々に島から離れていってしまい、ハワイ島ではコーヒーを作るしかなかったそうです。
日系移民の活躍
他の移民がコナでのサトウキビ栽培を諦め島から離れていく一方で、日本からきた日系移民達は島に残りコーヒー栽培を続けていました。時代の流れが、大規模なプランテーションシステムから個人農家と地主のやり取りになったことも影響し、勤勉な日系人たちは自分の農園を持ちコーヒーを作り続けました。
その結果、1900年に入るとカイルア・コナで作られたコーヒーの約8割を日系人が生産するまでになったのです。当時カイルア・コナにはコーヒー農家だけではなく、日本人が経営するホテルやショップも開かれ、ちょっとした“日本人街”がありました。
現在でもハワイ島には日系人の方がたくさん住んでおり、お寺があるなど独特な文化が築かれた土地となっています。
勤勉な日本人が支えたハワイのコーヒー産業
現在まで続くハワイ島でのコーヒー産業は、日系移民が支えていたと言っても過言ではありません。日本人が持つ勤勉性・我慢強さが、100%コナ・コーヒーを一大ブランドに仕立て上げたのです。
ハワイ土産で貰うことの多い100%コナ・コーヒー。こういったエピソードを知った後に口にすれば、その味わいもまた違うものに感じるかもしれませんね。