コーヒーの歴史に迫っていく当コラム。今回は、1900年代初頭ブラジルで起きたコーヒーバブルの時期をピックアップして紹介します。ブラジルのコーヒー産業が発展していく課程が、コーヒーバブルに大きく関わってきます。バブル到来から、その終末までを見ていきましょう。
コーヒー大量生産による値段の暴落
19世紀からはじまったブラジルの大規模コーヒー生産。砂糖の輸出から、コーヒー中心の輸出が行われるようになると、リオデジャネイロ、ミナスジェライス、サンパウロと各地でコーヒーの栽培が行われました。
奴隷制度とプランテーションの影響により、コーヒー輸出大国となったブラジルですが、20世紀に入ると苦境を向かえることとなります。計画性のない過剰な生産により、需要よりも供給が大幅に上回ってしまったのです。これにより、コーヒーの価格はどんどん下落してしまいました。
コーヒー生産にまつわる会議の開催
この状況を重く見た、ブラジルを含むラテンアメリカのコーヒー生産国は1901年に代表者を選出・派遣し、ニューヨークで「国際コーヒー会議」を行いました。
この会議は1ヶ月にも及び、コーヒーの生産と消費について話し合われたのです。第一次世界大戦に突入する直前の当時、ブラジルでは国内で生産されている作物の90%がコーヒーを占め、多くがアメリカに輸出されていました。
世界大戦中のコーヒー人気と禁酒法
世界大戦中、連合国軍の兵士たちはコーヒーを飲むことで精神を落ち着かせ、激しい戦闘を耐えしのいだそうです。一般的なコーヒーを淹れる時間がなかったため、新しく開発された“インスタントコーヒー”が普及しました。コーヒー需要の高まった連合国は「余ったコーヒーの買い取りを条件」としてブラジルに連合国側への参戦を要請し、余ったコーヒーが売却されたそうです。
1920年、アメリカ国内では禁酒法が成立施行されました。飲酒を楽しんでいた人々が多かったアメリカでは、酒の代わりとなるものとしてコーヒーを選んだそうです。アメリカは、ラテンアメリカ諸国から大量のコーヒーを輸入したためブラジルでは「コーヒーバブル」と呼ばれる時代が訪れたのです。
世界恐慌とコーヒーバブルの終焉
しかし、コーヒーバブルはそう長く続きませんでした。1929年にコーヒー消費国を世界恐慌が襲ったことにより、コーヒーバブルが崩壊し、コーヒーの価格はそれまでの半額以下に暴落してしまったのです。
ブラジル国内でコーヒー栽培に従事していた方々は次々に失業し、労働賃金も大幅にカットされてしまいました。国内で大量に余ったコーヒー豆は焼却や海上投棄という末路をたどることとなったのでした。
過剰生産から始まったコーヒーバブルは数年で終焉を迎えた
以上のように、ブラジルでは大量のコーヒーが生産されコーヒーバブルを迎えましたが、10年を持たずに崩壊してしまいました。1930年、ブラジル政府は余ったコーヒーの引取を依頼しインスタントコーヒーの代名詞“ネスカフェ”がアメリカ、スイスで販売されるようになったのでした。