世界的に有名な作曲家のバッハ。彼の作曲した作品の中に「コーヒー・カンタータ」という、コーヒーを題材にしたものがあります。この作品ができた背景には、当時のコーヒー事情も関わっているようです。バッハとコーヒーの関係性、コーヒー・カンタータが生まれた由来を紹介します。
女性がコーヒーを飲むことを禁じられていた?
現在でこそ誰もが楽しめるコーヒーですが、昔は高級なものとされていました。また、コーヒーを飲むことで「子どもが産めなくなる」、「肌が黒くなる」と言われていたため、イギリスではコーヒーハウスが女性禁制の場所になっていました。
バッハのいたドイツでも同じ風潮があった
ドイツにコーヒーが伝わったのは、イギリスより遅れること約20年後の1670年。ドイツにおいても、コーヒーハウスが女性禁制となりましたが、主婦たちはこの流れに怒り反対運動を起こしています。
コーヒー事情を風刺「おしゃべりをやめて、お静かに」
このような女性の反対運動を風刺して、詩人のピカンダーは「おしゃべりをやめて、お静かに」という作品を発表しました。この詩は…
娘:「1000のキスよりも愛おしく、ぶどう酒より甘いコーヒー。私はコーヒーをやめられない」
父親:「コーヒーを止めないなら、結婚パーティーはおろか散歩にも行かせない!」
娘:「コーヒーをくれるなら構わないわ」
といった、コーヒー好きな娘とコーヒーを止めさせたい父親とのやり取りをコミカルに描いた喜劇的なものです。
バッハが詩に曲をつけた「コーヒー・カンタータ」
この詩に、曲をつけたのがバッハでした。カンタータ第211番で、この詩を使って作曲をしたため「コーヒー・カンタータ」と呼ばれるようになりました。
バッハは多数のカンタータを世に残しましたが、このコーヒー・カンタータは“バッハっぽくない”といわれる少々変わった作品として語られているのです。
コーヒーハウスで演奏を行ったバッハ
バッハは、コーヒーをとても愛していました。それを象徴するエピソードが、コーヒーハウスでの演奏会です。
当時、協会のオルガン奏者としても活躍していたバッハは、通常教会でしか行わない演奏会を、コーヒーハウスで行いました。毎週金曜の夜に学生を率いたグループ「コレギウム・ムジクム」で演奏会を行い、上流階級でしか楽しめなかった音楽鑑賞を、一般市民の間に広めたのです。
バッハ作曲「コーヒー・カンタータ」の由来 まとめ
「コーヒー・カンタータ」は、当時のコーヒー事情とバッハのコーヒー好きによって生まれた作品。バッハの遺産の中には、たくさんの楽器・楽譜と並んでコーヒーポットが5つとコーヒーカップがあったそうです。
コーヒーハウスで演奏を行い、コーヒーポットにもこだわっていたバッハは、よほどのコーヒー好きだったのでしょう。バッハと並ぶ偉大な作曲家、ベートーヴェンもコーヒー好きで、毎朝飲むのが日課だったと言われています。
音楽家にとってコーヒーは、創作意欲をかきたたせるものだったのかもしれませんね。