コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、日本でコーヒーが普及したといわれている“黄金期”とコーヒー店の歴史に関してみていきます。一部の上流階級のみが楽しんでいたコーヒーは、どのようにして一般庶民に広まっていったのでしょうか。
外国人居住地域とコーヒーハウス
江戸時代に伝わったもののあまり普及しなかったコーヒーですが、明治時代に入るとある程度の広まりを見せました。開国に伴って、西洋の文化を取り入れようとする活発な姿勢、“文明開化”へのあこがれから西洋人と多く関係をもつようになった日本人。西洋人と食事を共にする際、コーヒーを嗜む人が少しずつ増えていったのです。
次第に、神戸・長崎・函館といった外国人が多く住む居住地区が作られるようになると、1864年には横浜に西洋人向けのコーヒーハウスが設立されました。
新聞広告によるコーヒーの宣伝
明治元年である1868年にコーヒー豆が輸入されるようになると、翌年には横浜で新聞を発行していた「エドワルズ」という人物によって、日本初のコーヒー広告が発表されました。
また1875年読売新聞にて、泉水新兵衛による日本人初のコーヒー広告が打ち出されるなど、着実にコーヒーが日本人に広まる土台が作られていったのです。
しかし、この当時コーヒーを楽しめていたのは一部の上流階級者のみ。コーヒーはまだまだ贅沢な嗜好品の域を脱せていなかったのです。
日本初のコーヒー店
日本で日本人向けにはじめてつくられたコーヒー店は、1888年に上野でオープンした「可否茶館」だと言われていました。しかしながら、実際にはもっと前からコーヒー店は各地に存在したとされています。
- 1876年 浅草に開かれたコーヒー茶館(下岡蓮杖が創設)
- 1874年 神戸に開かれた放香堂(1878年には読売新聞に広告を掲載)
- 1886年 日本橋に開かれた洗愁亭
など、有名な「可否茶館」以前にも小規模ながらコーヒー店は各地に存在していたようです。
ブラジルへの移民とコーヒー黄金期
1913年、ブラジル移民政策を推し進めていた「水野龍」は、ブラジル政府から5年間コーヒー豆の無償給付を受け、カフェ・パウリスタを設立しました。
カフェ・パウリスタは、コーヒー豆の無償提供の影響により安値でコーヒーを提供することに成功。これによって、日本各地にコーヒーが急速に普及していったのです。
各地に、コーヒー店やミルクホール(喫茶店のような場所)が設立され、1938年頃に至るまで日本のコーヒー黄金期が訪れました。一般家庭で飲まれるまでには浸透しませんでしたが、“飲食店で飲むもの”として多くの日本人がコーヒーを口にするようになったのです。
カフェ・パウリスタの成功が一般への普及に繋がった
鎖国や階級の違いによる影響のため、コーヒーが日本に根づくまでには大変長い時間がかかりました。文明開化によるきっかけ、カフェ・パウリスタ設立による普及があってこそ、一般の方々も楽しめるようになったのです。当時のコーヒー、果たしてどのような味がするのでしょうか。