コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回は、日本にコーヒーが伝わってきた時代について紹介していきます。18世紀の江戸時代、コーヒーが一般民衆に広がるまでには時間がかかったようです。
長崎出島に伝わったコーヒー
日本にコーヒーが伝わったのは、18世紀の長崎出島にオランダ人が持ち込んだのが最初だと言われています。しかしこの段階では民衆には広がらず、出島に出入りしていた一部の日本人がコーヒーを飲用していただけのようです。
出島近くの丸山遊郭の遊女たちは、出島への出入りが許されていたため、南蛮人(オランダ人)からコーヒーをプレゼントされ口にしていたようです。
鎖国がもたらす民衆への影響
当時、江戸幕府が行っていた鎖国政策の影響もあってか、なかなか民衆にコーヒーが広がることはありませんでした。また、コーヒーの風味は当時の日本人の口には合わなかったようです。
1804年、コーヒーを飲んだ大田南畝がコーヒーに関して「焦げくさくして味ふるに堪ず」という実に痛烈な感想を残したことでも有名です。しかし、ヨーロッパの文化に興味関心を持っていた蘭学者や、医者達はコーヒーを口にしており、大黒屋光太夫を代表とする、国外漂流者も漂着した先でコーヒーを飲んでいたようです。
明治時代に広まりはじめるコーヒー文化
江戸時代の日本ではコーヒーの存在が伝わっただけで、一般に普及はしませんでした。本格的にコーヒーが普及したのは、明治時代中期以降だと言われています。これは、“文明開化”と言われるように、鎖国が終わり日本全体が西洋文化に興味を示しはじめた影響です。
西洋人向けのコーヒーハウス設立
日本でコーヒーの輸入が始まったのは、1856年から。蝦夷地(北海道)に駐屯する人々は、寒さを凌ぐためとしてコーヒーが支給されたそうです。
函館、横浜、神戸、長崎と外国人の居住区が作られていきました。1864年には横浜に西洋人専用のコーヒーハウスもオープンし、西洋人と関わり合いのある日本人は洋食を口にする機会が増えました。
その中で、コーヒーを飲む機会も圧倒的に多くなり、徐々に日本にもコーヒーが普及していったのです。しかしながら、このような広がりを見せる中でもコーヒーを飲めるのは上流階級の一部、“ハイカラ”と呼ばれる高級品の一部だったのです。
明治から大正にかけて〜一般層への普及〜
一般の民衆にコーヒーが広まったのは明治から大正にかけての出来事です。コーヒーは、安い牛乳の臭みを取り除くための“香料”としても使われ、後にはコーヒー牛乳という独特の日本文化を生んだのです。
鎖国からの開国とともに市民権を得たコーヒー文化
以上のように、日本へコーヒーが伝わったのは江戸時代のことで、世界的に見ると比較的遅い方だったようです。コーヒーの味も最初は受け入れられず、鎖国からの開国とともに、西洋文化へのあこがれもありゆっくりと民衆に広まっていったのです。