コーヒーをもっと趣味に

コーヒーの歴史5【ヨーロッパ普及後期とカフェオレの誕生】

コーヒーの歴史5【ヨーロッパ普及後期とカフェオレの誕生】

コーヒーの歴史を追っていく当コラム。今回はヨーロッパ各地に広がっていった頃の時代についてみていきましょう。国ごとに広まり方は異なりますが、その中でカフェオレなどの新しい飲み方も提唱されていく頃のお話です。

イギリスのコーヒー普及

イギリスでコーヒーが広まったのは、1650年ごろに設立されたオックスフォードのコーヒーハウスがきっかけだと言われています。その数年後にはロンドンにもコーヒーハウスができ、徐々にイギリスでのコーヒー需要は増えていきましたが、当初は住民から不安の声が上がっていたのだそうです。

コーヒーハウスからティーハウスへ

コーヒーハウス周辺に住んでいた住民たちは、コーヒー独特の香りを“悪魔の匂い”と名付け抗議したといいます。このような反発があったにもかかわらず、コーヒーハウスは徐々に数を伸ばし始め17世紀には3000軒ものコーヒーハウスがあったそうです。

しかし、コーヒーハウスが女性禁制であることや、夫がコーヒーハウスに入り浸ることからロンドンの主婦たちの不満は爆発。主婦による抗議行動が起きています。

その後は男女ともに楽しめる「ティーハウス」が人気を集めるとともに、イギリスでは紅茶が国民的な飲み物として定着したとされています。

フランスのコーヒー普及

フランスでは、1669年にオスマン皇帝からルイ14世にコーヒーが献上されたことで、貴族等の上流階級にコーヒーが広まったと言われています。その後1671年にはフランス初のコーヒーハウスがマルセイユに建てられました。

健康面への影響とカフェオレの開発

当初は、コーヒーの発展を阻もうとしたワイン商の反発を受け、ワイン関係者から依頼された医師たちが「コーヒーの健康に与える悪影響」を主張したとも言われています。そんな妨害活動がありながらも、コーヒーはフランスで人気を得ていきました。

そんな「コーヒーの健康に与える悪影響」が、迷信として定着していたフランスでは、コーヒーにミルクを入れれば毒性がなくなる(これも迷信ですが…)ということで「カフェオレ」が開発されたのでした。

ドイツでのコーヒー

ドイツにコーヒーが伝わったのは、1670年頃だと言われています。当初は、フランス同様に上流階級の人々が飲むものとして贅沢品のような扱いを受けていましたが、1700年頃から各地にコーヒーハウスが開業し、ドイツ名産のビールと同じくらい一般の家庭に普及したのです。

コーヒー禁止令と代用コーヒー

しかしながら、流行の度が過ぎたためか1760年代に一般庶民に対するコーヒー禁止令が出されました。国内経済への影響を危惧したドイツはコーヒーの製造を王立企業に独占させてしまったのです。これにより、一般庶民はコーヒーの代わりに大麦やチコリといった代用品でコーヒーのような物を作り飲んでいたそうです。

ヨーロッパでもコーヒーは熱烈に受け入れられた

このように、ヨーロッパ各国でもコーヒーは定着していき国ごとの文化発展につながっていきました。女性禁制、上流階級の贅沢品として最初は限定的な層がたしなむ程度だったコーヒーも、その魅力から一般市民に解禁せざるを得なくなったようにも思えます。

About the Author

coffeemecca編集部

Coffeemecca編集部です。Coffeemecca編集部はコーヒーをもっと趣味に、コーヒーをもっと好きになってもらう記事やコンテンツを鋭意制作中です!