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コーヒーを「珈琲」と名付けたのは誰?

コーヒーを「珈琲」と名付けたのは誰?

コーヒーの和名を「珈琲」と書きますが、その名付け親をご存知ですか?「珈琲」という名の由来と命名者、コーヒー好きなら興味をそそる話題なのではないでしょうか。

日本のコーヒーのはじまりは江戸時代

コーヒーが日本に伝わったのは、江戸時代だったと言われています。鎖国を行っていた当時、唯一貿易を行っていたオランダの商人が、カステラとともにコーヒーを持ち込んだと言われています。

コーヒー普及のための試み

異国の地から伝わった、黒い液体であるコーヒー。日本人に紹介するためには、どうにかして日本語に訳す必要があったのです。当時、コーヒーは「カヒー」と呼ばれていたため、当て字として様々な漢字が試されました。
“可非” “可否” “黒炒豆”など、コーヒーを表現するのに適した「当て字」がいくつも考えられましたが、それらの当て字では日本に浸透することはありませんでした。

蘭学者 宇田川榕菴(うだがわ ようあん)

そんな中、とある人物が命名した当て字が、日本で今もなお使われる漢字となりました。発案者の名前は宇田川榕菴。幕末に岡山県(津山藩)で活躍した蘭学者です。宇田川榕菴は、“カーヒー”の当て字として「珈琲」という漢字を考案しました。

「珈琲」の由来は“髪飾り”

コーヒーを「珈琲」と名付けたのは誰2

珈琲の「珈」の字は、音読みで“カ”“ケ”と読み、「かみかざり、玉をたれさげたかんざし」という意味を持ちます。一方の「琲」は音読みで“ハイ”と読み、「つらぬく」という意味を持っているのです。

幻想的な命名が普及につながった

宇田川榕菴は、コーヒーの木に実っているコーヒーチェリーの様子を「女性の髪飾り(かんざし)」に見立て、「髪飾りと、その玉をつらぬく紐」の意味を持った「珈琲」という漢字を当てたのです。他の当て字とは違う、なんとも美しい発想によってコーヒーの伝搬に一役買ったのです。

宇田川榕菴が生み出したのは珈琲だけではない

宇田川榕菴は「珈琲」という漢字だけではなく、いくつもの言葉を日本語に翻訳しているのです。当時の日本にはなかった概念が書かれていた、科学や植物学の書物を翻訳して、今でも使われているあらゆる学術用語を作り出しました。
“水素” “酸素”といった元素の名前、“還元” “酸化”のような化学で使われている専門用語や、生物学の用語である“細胞”などまでもが宇田川榕菴による翻訳なのです。

当時、西洋医学を日本に伝えた第一人者と呼ばれていたシーボルトが江戸に来た際にも、親しく交流していたなど、現代日本の礎を築いた“隠れた功労者”とも言えるでしょう。

珈琲の名付け親は蘭学者 宇田川榕庵

コーヒーの和訳ひとつをとってみても、そこには深い物語があります。宇田川榕菴がコーヒーチェリーから連想した「珈琲」という漢字。その背景を知ることで、普段飲んでいるコーヒーにもロマンを感じることができます。
こういったささいなトリビアを得ることで、よりコーヒーへの愛着が湧いてきませんか。友人を招いてのコーヒータイムに、ひとつ、話題を提供してみてはいかがでしょうか。

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coffeemecca編集部

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